サッカーの天才マラドーナが残した名言特集!生い立ちやエピソードも

サッカーファンの方でもそうでない方も一度は耳にしたことがあるサッカー選手「ディエゴ・マラドーナ」。

16歳でアルゼンチン代表に選抜され、1986年のメキシコワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたことで大きな話題を呼びました。

マラドーナに憧れてサッカーをはじめた選手も多く、有名サッカー漫画「キャプテン翼」の作者高橋陽一先生も

マラドーナのサッカーを見てキャプテン翼を描いたことはあまりにも有名です。

そんなマラドーナは数多くの名言を生み出し、多くの方の人生に影響を与えた人物の一人です。

今回は、そんなマラドーナの名言をピックアップしてご紹介していきます。

マラドーナとは

マラドーナとは

マラドーナ、ディエゴ・アルマンド・マラドーナはアルゼンチンのサッカー選手で、ヨハン・クライフやフランツ・ベッケンバウアーと並ぶ、

20世紀のサッカー史に残る名選手の一人です。

選手時代は、アルゼンチンとスペイン、イタリアでプレーし、ワールドカップには4大会連続で出場しています。

現役引退後はアルゼンチンのクラブチームやUAEアラブ首長国連邦、メキシコのクラブチーム、アルゼンチンの代表監督で指揮を執りました。

2020年11月25日、心不全のため60歳でこの世を去ってしまい、彼の訃報を知ったアルゼンチン政府は3日間喪に服すという異例の決断を下しました。

マラドーナの生い立ち

マラドーナは1960年10月30日、アルゼンチンのブエノスアイレスで誕生しました。

子供のころからサッカーの才能に恵まれており、14歳でプロクラブのトップチーム入りを果たします。

そして、アルゼンチンでの活躍が認められ、1982年にスペインの名門クラブFCバルセロナへと移籍しました。

しかし、執拗なマークと度重なる怪我で思うような結果が出せず、1984年にイタリアセリエAのSSCナポリに入団します。

当時として破格の移籍金1300万ドルでナポリに移籍したマラドーナは、当時弱小チームだったナポリを優勝に導き、ナポリの王様としてサポーターに愛されます。

その後、スペインのセビージャへ移籍し、1993年にアルゼンチンのニューウェイズ・オールドボーイズに移籍、

1995年に古巣であるボカ・ジュニオルスに復帰し、1997年に現役を引退しました。

2010年南アフリカワールドカップではアルゼンチン代表監督として指揮を執り、メディアの注目の的になりました。

マラドーナの通算成績

マラドーナは、4大会連続でワールドカップに出場し、21試合出場し8得点を決めています。

さて、クラブチームでのマラドーナはどんな成績を残していたのでしょうか。

詳しく見ていきましょう。

リーグ 出場数 得点
アルゼンチンプリメーラ・ディビシオン 240 150
スペインプリメーラ・ディビシオン 81 42
イタリアセリエA 267 115

マラドーナの平均得点は1試合あたり0.526点という驚異的な数字を出しています。

スペインでは怪我やマーキングに苦しみましたが、それでも81試合42得点は当時としてはかなりの結果といって間違いないでしょう。

マラドーナの名言

マラドーナはサッカーの天才であるために、常にメディアから注目されていました。

そんな彼が放った言葉は一言一句重みがあり、多くの人に影響を与えています。

マラドーナが話した名言とは一体どんな言葉なのか、詳しく見ていきましょう。

とにかくボールを預けてくれればいい、後は俺がなんとかするから

マラドーナは独特のステップと最小限のフェイントで相手をかわし、分かっていても止められないドリブルでゴールやアシストを量産するプレイヤーとして有名です。

そのため、チームが苦しい時はとにかく自分にボールを集めればチャンスを作るという意味からこの名言が出ました。

私はありとあらゆる悪いことを行った。だが、フットボールを汚したことはただの一度もない

マラドーナは、麻薬所持や拳銃の不法所持などでメディアを騒がせてきました。

しかし、彼ほどサッカーにひたむきでサッカーを愛したプレイヤーは他にいないのではないでしょうか。

永遠のサッカー小僧らしい名言です。

俺が手で決めたように見えたのなら、それは神の手なのかもしれない

1986年、メキシコワールドカップアルゼンチン対イングランド戦にて、マラドーナのヘディングが、あたかも手に触ったように見えたシーンがありました。

イングランド選手は猛抗議をしますが認められず、そのままゴールが認められます。

その試合後にインタビューを受けたマラドーナの名言は、瞬く間に世界中を駆け巡りました。

俺がやったドーピングは努力だけだ

サッカーにひたむきで、常に練習を欠かさなかったマラドーナですが、抜群のスタミナと独特のステップワークで得点とアシストを量産したため、

一時期ドーピング疑惑が浮上します。

そんな疑惑を一蹴した名言です。

あの5人抜きは、相手のイングランド選手がフェアだったからこそやれた

1982年メキシコワールドカップ、アルゼンチン対イングランド戦で、マラドーナは伝説の5人抜きという離れ業をやってのけます。

イングランド選手も後ろからタックルに行く、ダーティープレイをすることなく正々堂々とマラドーナに立ち向かいました。

そんなイングランドに敬意を表したマラドーナの名言です。

マラドーナのエピソード

マラドーナは、サッカー界において多くの実績を残しましたが、記録よりも記憶に残るエピソードが数多く存在します。

そんなマラドーナが残したエピソードを厳選してご紹介していきます。

Jリーグでプレイするはずだった

マラドーナは、1993年Jリーグ開幕時に、名古屋グランパスエイト(当時)と契約を結びます。

しかし、イタリアで麻薬所持と拳銃の不法所持の前科で出国制限が課せられていたため日本の入国が叶わず、名古屋移籍も破断になってしまいました。

余談ですが、コンサドーレ札幌とアビスパ福岡でプレイ経験があるマラドーナという選手がいましたが、実はマラドーナの弟さんです。

彼は、合計4年間日本でプレイをし、2000年にアルゼンチンで現役を引退しました。

神の手ゴール

1986年、メキシコワールドカップ準々決勝アルゼンチン対イングランド戦の後半6分、イングランド選手のカットしたボールがペナルティエリア内へと入っていきます。

イングランドのゴールキーパーが前に飛び出して処理しようとした所、マラドーナと競り合いになり、マラドーナが先に触ってゴールを決めます。

しかし、競り合いの際にマラドーナの手がボールに触っているように見え、イングランド選手が審判に抗議をします。

リプレイ映像を確認したら、マラドーナがヘディングをする際、左手でボールを触っている瞬間が映っていましたが、

主審はヘディングでゴールをしたと判断し、アルゼンチンの得点を認めました。

伝説の5人抜き

1986年、メキシコワールドカップ準々決勝アルゼンチン対イングランド、神の手ゴールからわずか4分後の出来事でした。

センターライン付近でボールを受けたマラドーナは、2人のマークをかわすとそのままイングランドゴールに向かってドリブルを開始します。

そして、3人、4人のイングランドディフェンダーを華麗なステップでかわすと、

前に飛び出したイングランドゴールキーパーをかわして無人のゴールにボールを流し込みます。

5人抜き映像は瞬く間に全世界に届き、マラドーナが世界トップのプレイヤーとして認められた瞬間でもありました。

まとめ

選手として一時代を築き、多くの人から愛されたディエゴ・マラドーナ。イタリアナポリやアルゼンチンブエノスアイレスにはマラドーナの銅像が建てられています。

彼が残した多くのプレイは人々の心に刻み込まれ、マラドーナに憧れてサッカーを始め、プロになった選手も大勢います。

彼は残念ながらこの世にはいませんが、彼の残した記録と記憶は後世に渡って受け継がれていくことでしょう。

マラドーナのプレイと名言をプレイバックで見ていきながら、古き良きアルゼンチンサッカーを懐かしんでいきましょう。

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