サッカー元日本代表本田 圭佑選手のエピソード大特集意外な素顔も!

ビッグマウス、この言葉にぴったりなサッカー選手と言えば本田圭佑選手でしょう。

長年海外リーグで活躍し、サッカー日本代表でも多くの実績を残してきました。

しかし、強気な発言を繰り返す本田圭佑選手にも多くのエピソードがあり、挫折やつらい経験をいくつも乗り越えてきました。

そんな本田圭佑選手のエピソードを見ていきながら、意外な一面や素顔を一緒に見ていきましょう。

本田圭佑の実績

本田圭佑選手は、大阪府摂津市出身で、石川県星陵高校から名古屋グランパスに入団します。

オリンピック代表にも選ばれ、21歳の若さでオランダエールディビジのVVVフェンローへと移籍します。

本田圭佑選手にとって初の海外挑戦です。

VVVフェンローでの活躍が認められた本田圭佑選手は、ロシアプレミアリーグのCSKAモスクワへと舞台を移します。

ロシアで数多くの実績をあげて、イタリアセリエAの名門クラブACミランで10番を背負います。

その後、メキシコ、オーストラリア、ブラジル、アゼルバイジャンでプレイをし、多くの現地サポーターを魅了しました。

本田圭佑選手は、どのクラブでどれくらい活躍したのか見ていきましょう。

所属クラブ 在籍年度 出場数 得点
名古屋グランパス 2005年~2007年 90 11
VVVフェンロー 2008年~2009年 68 24
CSKAモスクワ 2010年~2013年 94 20
ACミラン 2014年~2017年 81 9
パチューカ 2017年~2018年 29 10
メルボルン・ビクトリー 2018年~2019年 18 7
フィテッセ 2019年 4 0
ボタフォゴ 2020年 18 2
ネフチ・バクー 2021年 7 2

 

ワールドカップでの活躍

本田圭佑選手は、2010年南アフリカワールドカップ本大会のメンバーに選出されます。

本大会前までは結果が出なかった日本代表は、サポーターやメディアから相当のバッシングを受けていました。

本田圭佑選手もバッシングに晒されていましたが、大会本番で周囲を黙らせるエピソードを続々と作り上げていきます。

4試合すべてにフォワードとして先発し、2ゴール1アシストという記録を残しました。

4年後のブラジルワールドカップでは、3試合に先発出場します。

1試合目の対コートジボワール戦でゴール、3試合目の対コロンビア戦でアシストを記録しますが、日本代表は1勝もできず、本田圭佑選手に非難が殺到しました。

2018年のロシアワールドカップでは、先発出場はありませんでしたが、初戦の対コロンビア戦で途中出場しアシストを記録します。

2戦目の対セネガル戦では、途中出場ながらも同点弾を決め、日本代表をベスト16に導く活躍を見せました。

本田圭佑選手は、ワールドカップ3大会でゴールとアシストを決めた日本人ただ一人の選手です。

世界的に見ても例がなく、ワールドカップ3大会でゴールとアシストを記録した選手は、本田圭佑選手を除いて過去に5人しかいません。

本田圭佑のエピソード

ビッグマウスで有名な本田圭佑選手ですが、強気な発言をして自分をあえて追い込むために、メディアの前ではビッグマウスぶりを発揮しています。

しかし、その言葉一つ一つの裏では、常人にはとても真似ができない厳しいトレーニングと日々の自己研鑽を積んで、

自分を追い込み目標を達成する強い意思がこもっています。

そして、過去のエピソードから生まれた様々な名言は非常に説得力があり、多くの人に影響を与えました。

本田圭佑選手のビッグマウスの裏にはどんなエピソードが隠されているのか、一緒に見ていきましょう。

中学生で挫折を味わう

本田圭佑選手は、中学生時代ガンバ大阪のジュニアユースチームでプレイしていました。

しかし、高校生年代のユースチームへ昇格が果たせず、石川県にある星陵高校へと進学します。

昇格ができなかった本田圭佑選手は悔しさを爆発させましたが、挫折を乗り越えて、

星陵高校を冬の高校サッカー選手権大会で石川県勢初となるベスト4に導く活躍を見せました。

Jリーグでも挫折

星陵高校で活躍し、石川県選抜、U-19日本代表に選ばれた本田圭佑選手は、高校卒業後名古屋グランパスに入団します。

現在からは信じられないエピソードですが、入団当初は出場機会が満足に与えられず、試合終了間際での途中出場がほとんどという時期を過ごしました。

試合に先発できない悔しさと挫折の中、本田圭佑選手は悔しさをバネに一人黙々とトレーニングを重ね、名古屋グランパスの主力へと成長します。

名古屋グランパスの活躍と、オリンピック日本代表の活躍が認められ、本田圭佑選手はオランダエールディビジのVVVフェンローへ移籍しました。

初めての海外挑戦は2部リーグ

本田圭佑選手にとって初めての海外挑戦になったのが、オランダエールディビジのVVVフェンローです。

しかし、入団してから1シーズン目で、VVVフェンローは2部のエールステ・ディヴィジに降格してしまいます。

「まさか、自分のサッカー人生で2部を経験するなんて思ってもみなかった」と、後に本田圭佑選手は語っています。

しかし、2部リーグではVVVフェンローの攻撃陣をけん引し、16ゴール13アシストという記録を作り、2部リーグのMVPに輝きました。

小学生時代の夢を叶える

本田圭佑選手は小学生時代、卒業文集に「ACミランで10番をつける」と書いています。

そして、念願の夢が叶って、2014年にミランへと移籍し、背番号10番を背負って憧れのACミランで3シーズンに渡ってプレイしました。

パサーからゴールハンターへ

プロになったばかりの本田圭佑選手は、味方選手へ正確なパスを通してチャンスを作る、いわゆるチャンスメイカーとしてプレイしていました。

しかし、VVVフェンロー時代の味方選手から「お前がゴールしている姿を観れるのはYOUTUBEだけだ」と苦言を呈されます。

意識が変わった本田圭佑選手はゴールを積極的に狙うようになり、強靭なメンタルとフィジカル、シュート精度を磨き上げていきます。

本田圭佑のエピソード番外編

本田圭佑選手は、サッカーで数多くの実績とエピソードを残してきましたが、実はサッカー以外でも多くのエピソードを残しています。

意外な一面や素顔も見られる、本田圭佑選手の意外なエピソードを見ていきましょう。

奥様は高校サッカー部のマネージャー

本田圭佑選手の奥様は、高校のサッカー部でマネージャーをしていました。

しかし、サッカー部のマネージャーといっても本田圭佑選手の母校石川星陵高校ではなく、ライバル高校のマネージャーです。

試合前にライバル高校のマネージャーを見た本田圭佑選手は一目ぼれし、マネージャーに「試合に勝ったら付き合ってくれ」と猛アピールします。

そして、見事に試合に勝利した本田圭佑選手はマネージャーと交際することになり、結婚まで進みました。

現在は、3人のお子さんに恵まれ、幸せな家庭を築いています。

両手に時計をはめている理由

本田圭佑選手のトレードマークと言えば、両手に時計をはめていることでしょう。

両手に時計をはめている理由は、名古屋グランパス時代に贈られた高級時計を飾っておくのはもったいないと思い、両手同時にはめたらしっくりきたからです。

メディアには「両腕のバランスを鍛えるため」と発言していますが、

本田圭佑選手は「そんなわけあるか!と突っ込んでもらいたいのに、みんな妙に納得して困っている」と笑顔で答えていました。

ビッグマウスの本田圭佑選手からは意外な、おちゃめな一面が見られるエピソードです。

プロフェッショナルとは「ケイスケ・ホンダ」

本田圭佑選手は、NHKの人気ドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演します。

プロフェッショナル 仕事の流儀番組の最後に「プロフェッショナルとは?」と質問をするのが恒例ですが、

本田圭佑選手は、「プロフェッショナルとは、ケイスケホンダ」と回答します。

ケイスケホンダと回答した後、本田圭佑選手は笑いそうになっていましたので、「意味が分からない」と突っ込んでもらいたかったのでは、という推測もありました。

しかし、華麗にスルーされて番組が終わる、恐るべしNHK、恐るべし本田圭佑のメンタルが見れたエピソードでした。

まとめ

ビッグマウスとして知られ、自分にも他人にも厳しいイメージがある本田圭佑選手。

しかし、素顔はサインや写真にも気軽に応じて、若手選手の面倒見が良い大阪の気の良いお兄ちゃんです。

どんなに批判に晒されても後ろを振り向かず前を見続ける本田圭佑選手は、見習う部分がたくさんあります。

本田圭佑選手のエピソードを見て、違う一面も見ればネガティブな記事や雑音を跳ね返して本田圭佑選手を応援する気持ちになること間違いなしです。

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