東北楽天ゴールデンイーグルスを中心に、数々の実績を残してきた田中将大投手。
野球ファンならずとも多くの人に認知されている有名野球選手です。
今回はそんな田中投手の名言から、彼の野球や人生に対する姿勢を探ります。
まずは、田中投手のこれまでの経歴を振り返ります。
田中将大投手の経歴について
高校時代
田中将大投手を一躍有名にしたのは高校時代です。
駒澤大学附属苫小牧高等学校時代、2005年、当時2年生の夏の甲子園でエースとして優勝。チームとしては、この優勝で夏の大会2連覇となりました。
そして翌年、3年生の夏の甲子園では、決勝戦であの斎藤佑樹投手擁する早稲田実業高等学校と対戦しました。
当時は斎藤投手が大スターとして注目を浴び、早稲田実業が優勝するのか、それとも駒大苫小牧が夏3連覇を果たすのか、大注目の決勝戦でした。
結果は、延長15回戦って1-1の同点。まさかの引き分け再試合という展開になりました。
そして翌日の再試合、接戦の末、4-3で早稲田実業が勝利し、駒大苫小牧の夏の大会3連覇の夢は破れました。
この決勝戦で、斎藤投手、田中投手の名前は、一躍全国区になりました。
田中選手の高校通算成績は公式戦57試合で35勝3敗、防御率1.31、329イニングを投げ458奪三振という驚異の数字を残しました。
しかし、当時からこの世代は、夏の大会で優勝した早稲田実業の斎藤投手に脚光があたり、「ハンカチ世代」と呼ばれるようになります。
NPB時代
その後、2006年のドラフト1位として、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した田中投手。当時の野村監督の元、厳しい指導を受けながらプロの舞台に適応します。
なんと2007年の高卒1年目シーズンで11勝をあげ、リーグ2位の196奪三振で見事新人王を受賞します。1年目からとんでもない成績で、後の活躍も納得できます。
その後も日本プロ野球界で着実に実績を重ね、2013年シーズン、開幕からシーズン24連勝という信じられない記録と共に、
球団史上初の日本一という置き土産を残し、メジャーリーグに挑戦します。
MLB時代
2014年から、総額1億5,500万ドルの7年契約という破格の年俸で、田中投手はニューヨーク・ヤンキースに移籍します。
メジャー1年目の前半戦は、日本時代の実績そのままに、12勝4敗という素晴らしい成績を残し、初年度からオールスターに選出されます。
しかし、右ひじを痛め、故障者リスト入りすることになり、オールスターは欠場。メジャー1年目のシーズンは13勝5敗という結果に終わります。
その後もメジャーリーグで6年連続二けた勝利を達成するなど、ヤンキースのエースとしてチームを引っ張りました。
日本人投手が、あの名門ヤンキースで投手陣の軸として当たり前のように活躍する姿は、本当に頼もしかったです。
その後2021年シーズンに、東北楽天ゴールデンイーグルスに電撃復帰したことは記憶に新しいところです。
田中将大投手の名言集
では、田中投手が野球人生において残してきた名言集を紹介します。
野村監督からはこれまで厳しいことを言われ、何クソ、見返してやろうと。でも、それも愛情だと思っていた。
野村監督とのやり取りに対する発言です。
野村監督は【ID野球】と呼ばれた、緻密なデータに基づく野球をするという事で有名な監督です。
田中投手が登板する際には、ベンチに帰るたびに野村監督が説教していた姿は、よく見受けられました。投げたボールに対し、
「どういう意図で投げたのか」「なぜ勝負を急いだのか」等、厳しくID野球をたたき込まれます。
しかし、野村監督は「マー君、神の子、不思議な子」という発言をしたように、田中投手に対して非常に愛情を持って接していたことも分かります。
田中投手も野村監督の思いを理解し、しっかりと応えていたんですね。
本格派だろうが、何派だろうが、抑えりゃいいんですよ
これは、田中投手の勝負に対するこだわりが出ている発言ですね。
いつも気持ちが入っている田中投手らしく、とにかく勝てばいい。どんなことをしてもバッターを抑えたいという気持ちが表れている言葉です。
マウンド上で吠える田中投手は闘志が溢れていてカッコいいですね。
僕はもともと野球エリートじゃない。中一のときはレギュラー入りすらできなかった。プロに入っても最初は試行錯誤だった。
これは意外ですが、田中投手、中学の時はレギュラーにも入れていなかったとのこと。これほどまでの大スターであっても、
小さい頃はレギュラーじゃなかったという話は、今の野球少年たちに勇気を与える話ですね。
小さい頃から野球エリートでは無かったという田中投手の生い立ちが、反骨精神を育てたと考えられます。試行錯誤ができたのも、
田中選手の野球に対する飽くなき探求心からくるものだったのでしょう。
ちなみに、田中投手は小学校時代、現在読売ジャイアンツに所属している坂本勇人選手と同じチームでバッテリーを組んでいたというのは有名な話です。
当時は、田中投手はキャッチャー、坂本選手はピッチャーというポジションでした。
少年野球で同じチームでバッテリーを組んでいた選手同士が、プロの世界、それも超一流選手になるなんて、まるで漫画のような話です。
2021年に行われた東京オリンピック2020で、両選手は日本代表のチームメートとして金メダルを獲得しました。まるで奇跡のようなエピソードです。
仕事だから野球をする、なんて思ったことは一度もない。好きだから野球をやっているんだ、という想いがあるだけ。
田中投手の心の底から野球が好きというのを表した言葉です。
プロ野球選手になるような人は、小さい頃は野球を楽しんでいたけれども、プロ野球の世界に入り、
野球が仕事という形になったら、好きではなくなる、という話はよくあります。
プロという厳しい世界に身を置きながら、野球の事を好きでい続けられるというのは、田中投手が、真の野球小僧なのだという事が分かる名言です。
もちろん、好きだからこそ、勝ったときは喜びを、負けた時は悔しさを全面に表現するのも田中投手の特徴です。
遠い未来は目指さない。常に「明日の目標」をクリアし続ける。
この言葉からは、田中投手が1日1日、1試合1試合を大事にしているという事がわかります。
目の前の課題を一つずつクリアしていった先に、24勝0敗という、とんでもない記録が達成されました。常に全力で取り組む田中投手の姿勢が分かる名言です。
まとめ
田中投手の素晴らしい実績と共に、彼の残した名言を紹介しました。
いつもマウンド上で仁王立ちして、相手を圧倒する田中投手。
野球に対する真摯な姿勢と、野球が好きという思いが伝わる名言が多くありました。
これからもプロ野球界にとっての宝として、活躍してくれるでしょう。