サッカー日本代表ファンの中で知らない人はいないであろう人物、それが岡田武史氏です。
岡田武史氏は、緊急登板でありながら日本初のワールドカップ本大会出場を勝ち取り、
南アフリカワールドカップでは、日本人監督として初のベスト16に導いた名将でもあります。
誰もが見ても苦労人とされる岡田武史氏の言葉には非常に重みがあり、これまで数多くの名言が生まれてきました。
サッカーだけではなく、ビジネスや私生活でも役に立つ岡田武史氏の名言を一緒に見ていきましょう。
岡田武史の経歴
岡田武史氏は、サッカー日本代表監督とJリーグ監督、中国超級の監督を歴任し、現在はJFLチームFC今治の代表取締役を務めています。
現役選手時代はセンターバックを努め、早稲田大学から古河電気工業サッカー部へ入部し、日本代表で24試合に出場しました。
現役引退後は古河電工サッカー部のコーチを務めた後、ドイツにコーチ留学します。Jリーグ開幕後に日本に帰国し、
1995年にサッカー日本代表のコーチに抜擢されます。
そして日本代表監督としてフランスワールドカップの切符を手にし、南アフリカワールドカップでは監督を努めました。
Jリーグでは、コンサドーレ札幌と横浜Fマリノスの監督を経験し、横浜Fマリノス時代には2度の年間王者に輝いています。
海外での監督も経験し、中国超級リーグ杭州緑足玉倶楽部で2年間監督を努めました。
2019年には、日本サッカー殿堂入りも果たしています。
サッカー日本代表監督を2度経験
岡田武史氏は、日本人として初めてサッカー日本代表監督を2回経験しており、2回とも緊急登板であることで有名です。
1995年フランスワールドカップアジア予選で結果がでなかった加茂周監督の代わりを見事に努め、日本を初のワールドカップ本大会へ導きます。
そして、2008年には当時の代表監督であったイビチャ・オシム氏が脳梗塞で続投不可能となった代役で、
2010年南アフリカワールドカップ本大会で日本人監督初のベスト16に輝きました。
FC今治のオーナーに
岡田武史氏は、2014年杭州緑足玉倶楽部退任後、当時四国サッカーリーグに所属していたFC今治のオーナーに就任します。
岡田武史のネームバリューを最大限に活かし、スポンサー獲得やサッカー専用スタジアムの建設に尽力、今治市民希望の星として経営者の道を歩んでいます。
岡田武史の名言
岡田武史氏は、日本サッカー界に多大な貢献をしてきた人物として有名ですが、努力を重ねて階段を昇ってきた、いわば苦労人です。
そんな岡田武史氏が言う言葉の一つ一つは重みと説得力があり、ビジネスや私生活でも影響がある名言がたくさんあります。
岡田武史氏の名言を紐解いていきながら、ビジネスや私生活へのヒントを一緒に探っていきましょう。
外れるのはカズ、三浦カズ
1998年フランスワールドカップの日本代表メンバーを発表する時に放った衝撃的な名言です。
三浦知良選手と言えば、高校年代から単身ブラジルでサッカーに励み、Jリーグ発足から多くの実績を残してきた選手の一人です。
そんな三浦知良選手はフランスワールドカップ代表メンバー当確と言われていましたから、当時のメディアやサッカーファンから賛否両論の声がありました。
後のインタビューで三浦知良選手を外した理由を、「対戦相手とのシュミレーションを何度も重ねたが、
三浦知良選手をどこで使えば良いか全くイメージがわかなかった」と振り返っています。
俺は本気でベスト4を目指す奴とやる
2008年、イビチャ・オシム氏の代行として急遽サッカー日本代表監督に就任した岡田武史氏。
当時の目標は「南アフリカワールドカップベスト4」というものでした。
誰もが不可能と思っていた目標を本気で目指すメンバーとワールドカップを戦いたい、彼の下に集まったメンバーは下馬評を覆す大活躍を魅せました。
残念ながら南アフリカワールドカップはベスト16で終わってしまいましたが、目標をクリアすることに必要なことは何かを教えてくれました。
当時日本代表で会った遠藤保仁選手のお腹を触って、「そんな腹でベスト4に行けるのか?」と言った名言はあまりにも有名です。
できればもう一試合、一試合やらせてやりたかった
2010年南アフリカワールドカップでベスト16に終わり、帰国後の記者会見で岡田武史氏が言った名言です。
全ての責任は自分にあるという悔しさと無念、当時の日本代表メンバーなら必ずベスト4にいけると信じ切った男の言葉でした。
ワールドカップに出場できなかった選手のケアも怠らず、記者会見の最後に笑いを誘うヒトコマはあまりにも有名です。
心から言う言葉は言葉以上のものが伝わる
心から言った言葉は言葉以上のものを伝えるんですよね。だからベスト4にしても、僕が本気でベスト4だと思ってないと伝わらないんですよ。本当に俺はそう思っているか?と自分に問いかけて伝えるくらいの重みのある言葉は、必ず言葉の意味以上のものを伝えてくれるんです。
テレビ東京「カンブリア宮殿」より引用
「言葉には言霊がある」と、岡田武史氏の名言がありますが、自分で言った言葉は必ず自分に返ってきます。
本気で何かをやる、何かを成し遂げる思いが強ければ強いほど言葉に重みが増し、言葉を超えたものとして人々の心に刻まれます。
究極のエンジョイとはリスクを冒すこと
選手によく話すんですけど、究極のエンジョイってのは自分の責任でリスクを冒すことだ、と。要するに、監督が「ここだ」と行ってる。でも「オレはここだ」。これで成功した時にこんなに楽しいことはないんですよ。
だからギャンブルでね、自分のなけなしの金で賭けてるから、無くなったら大変だ、勝ったらこれで何を買おうかという喜びがあるわけですよね。スポーツはお金賭けないでできるギャンブル。そこが本当の楽しみなはず。最高に面白いところだぞ、ここはと。
言われたことをこなすだけじゃ面白くもクソもないだろうという言い方をするんですけど、でもリスクを冒して失敗したら俺は怒るぞと。怒るかもしれないと言いますけどね。だからリスクなんですよ、怒られるからリスク。「リスクを冒して失敗しても褒めよう」なんてそれはリスクじゃなくなるんですよ、それは。
テレビ東京「カンブリア宮殿」より引用
人から指示されて手に入れた結果は、その場は良くても必ず後でメッキがはがれてきます。
時には自分で考えて、怒られることを覚悟でチャレンジをしたことは、たとえ今失敗したとしても今後の成長に大きくつながっていくでしょう。
岡田武史のエピソード
岡田武史氏は数多くの名言を出している監督として有名ですが、名言の裏では様々な困難と対峙していました。
そんな岡田武史氏が経験してきたエピソードを一緒に見ていきましょう。
日本脱出計画を考えていた
1998年フランスワールドカップの切符をかけて、アジア各国は熾烈な争いを繰り広げていました。
当時のアジア枠は3.5と、現在の枠より1か国少ない状態で試合を進めます。
日本は最終予選まで勝ち進みますが、度重なるけが人の続出とコンディション不良、対戦相手の戦術に翻弄され、なかなか思うような結果がだせません。
前回のドーハの悲劇を繰り返さないために、当時の日本代表監督加茂周監督を更迭し、新たに選ばれた監督が岡田武史氏でした。
しかし、岡田武史氏が監督に就任しても結果が向上せず、岡田武史氏の自宅には連日無言電話やいたずらが相次いだと言われています。
そして、最終戦であるアジア地区第3代表決定戦で負けたら日本にいられないと思い、ご家族に荷物をまとめるように言います。
しかし、対戦相手のイランに延長でゴールデンゴールを決め、見事フランスワールドカップ本大会の切符を手にしました。
対戦相手の代表監督から監督と気づかれなかった
2010年南アフリカワールドカップ本大会の切符を手にし、ワールドカップ本大会の抽選会場へと足を運んだ岡田武史氏。
抽選会前にオランダ代表と親善試合を行った縁があって、当時のオランダ代表監督であったベルト・ファン・マルワイク氏にあいさつに行きます。
しばらく英語で談笑していましたが、ファン・マルワイク氏が突然「ところで日本の監督はどこだ?」とびっくり発言をします。
日本代表監督が外国人と勘違いしていたのかは定かではありませんが、日本を挑発したと当時のメディアは大バッシングを繰り広げました。
S級ライセンスを返納
サッカーで選手を指導する際には、必ずライセンスが必要になってきます。
Jリーグや日本代表で指揮を執るには、日本で最上級ランクのS級ライセンスもしくはFIFA PROなど、相当のライセンスが必須となってきます。
当然岡田武史氏もS級ライセンスを保持していましたが、S級ライセンス更新に必要なポイントを保有しておらず、更新料だけを支払っていたためS級ライセンスを返納してしまいました。
監督業をするには、改めてライセンスを取得する必要がありますが、岡田武史氏はFC今治のオーナー業に専念するとのことで、今後の活躍が期待されます。
まとめ
サッカーの名将と言われ、数多くの実績を残してきた岡田武史氏。彼がいなかったら、日本代表やJリーグがここまでレベルアップすることはなかったでしょう。
そして、彼がのり超えてきた様々な試練や困難は血となり肉となり、多くの名言を生んできています。
現在は経営者として第二の人生を歩み始めた岡田武史氏。今度はスポーツビジネスを経験してきた名言が飛び出すことを期待して止みません。