ジョゼ・モウリーニョ(1963年1月23日~)は、ポルトガル・セトゥーバル出身のサッカー監督。
手堅い戦術と、選手のモチベーションを高める手法で、ヨーロッパ中のタイトルを取り続ける名将です。
モウリーニョの名言1
「自分が世界一の監督だとは思わない。だが、私より優れた監督が見当たらないのも事実だ」
今回の記事では、自らを「スペシャル・ワン」と称する優勝請負人、モウリーニョの名言を紹介します。
プロ選手としての経歴はゼロ
父親がプロサッカー選手だったモウリーニョですが、自身にプレーヤーとしての才能は無く、20才そこそこで選手生活に見切りをつけます。
リスボン工科大学でスポーツ科学を学んだあとは、まずユースチームの監督として活動を始めました。
モウリーニョの名言2
「ベンチに座ってる選手は控えではない。私は彼らを第一のオプションと呼ぶ」
スターを特別扱いせず、控え選手のメンタルケアを怠らない姿勢は、恵まれなかった自らの現役生活と無関係ではありません。
FCバルセロナで通訳やアシスタントコーチとして経験を積んだあと、ポルトガルのFCポルト監督に就任。
ビッククラブではないこのチームで、ヨーロッパNo.1を決めるUEFAチャンピオンズリーグを制します。
モウリーニョの名言3
「私は欧州王者だ。だから自分を、特別な存在だと思っている」
この時から、スペシャル・ワン(=特別な存在)が、モウリーニョの代名詞となりました。
チームファーストの徹底
モウリーニョの名言4
「私はいいプレーができなかった選手を批判しない。だがチームのためにプレーしなかった選手は別だ」
徹底して勝利にこだわるモウリーニョのサッカーは、お世辞にもスペクタクルとは言えません。
一言でいえば「堅守速攻」。
革新的でもなければ、最先端でもない戦術で、勝利を積み上げていくスタイルを支えるのは、チームファーストの徹底です。
ホテルでの食事はチーム全員で同じ時間に摂り、最後の一人が食べ終わるまで席を離れないよう指示するなど、規律と結束を求めました。
異なる4ヵ国でリーグ優勝
第一次チェルシー時代
実績を評価され、ロンドンの古豪チェルシーの監督に就任したモウリーニョは、最初のシーズンでいきなりリーグ優勝。50年ぶりのリーグタイトルをもたらします。
ところが、強化方針の違いにより、経営陣とは上手くいきません。
相次いで守備陣が故障したため、DFの補強を希望したモウリーニョですが、フロントはこれを却下。攻撃的な有名選手を、獲得し続けたのです。
モウリーニョの名言5
「選手であろうが、監督であろうが、個人がスターになるべきではない。一致団結したチームこそスターだ」
放漫経営を続けるクラブに嫌気が指したモウリーニョは、イングランドを去る決意をします。
次に挑戦する国として選んだのは、イタリアでした。
インターミラノ時代
2008年6月にセリエAのインターミラノ監督になると、最初の年にいきなりリーグ優勝し、2009~2010年シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグも制します。
モウリーニョの名言6
「ピッチ上に年功序列は存在しない。18歳も36歳も同じひとりのプレーヤーだ。同じピッチで同じボールを追い、同じ責任を負う」
勝利を追求するあまり、しばしば戦い方が「守備的過ぎる」と批判されるモウリーニョ。
しかし、まったく意に介さず、ピークを過ぎたベテラン選手を軸に、安定した戦いで勝利を積み上げていきます。
チャンピオンズリーグ決勝でも、FCハリウッドと称されるスター軍団のバイエルンを2-0で撃破し、またもやトロフィーの数を増やしました。
モウリーニョの名言7
「監督の仕事を、勝ち負けだけで判断してはいけない。ただ私のチームは、必ず何かのタイトルを勝ち取る」
レアル・マドリード時代
2010年5月には、スペインが誇る名門レアル・マドリードに、指揮官として招かれます。
モウリーニョの名言8
「私はレアル・マドリードを率いるために生まれたわけではない。ただフットボールの監督をするために生まれたのは確実だ」
初年度こそ、ライバルであるFCバルセロナにリーグ優勝を譲りますが、翌シーズンは圧倒的な強さでリーグを独走。チャンピオンの座を奪います。
このタイトルによってモウリーニョは、異なる4ヵ国でリーグ優勝した、史上4人目の監督となったのです。
第二次チェルシー時代
2013年6月、イングランドのチェルシーと2度目の契約に合意。
就任2年目には、チェルシーに5年ぶり5度目となるリーグ優勝をもたらします。
ところが翌シーズンは、主力のケガや不振が相つぎ一気に失速。優勝戦線から早々に離脱しました。
さらにはスウォンジー・シティ戦で、治療のためグランドに入った女医のエバ・カルネイロを叱責。
「ドクターだろうと用具係だろうと、ベンチにいる以上はフットボールを理解しなければならない」
なんとモウリーニョは、カルネイロ医師を解雇。
これが性的差別であるとして、法的措置を取られるトラブルへと発展します。
その後のリーグ戦も振るわず、シーズン途中で解任という散々な結果となりました。
マンチェスター・ユナイテッド時代
再起を期したモウリーニョは、2016年にイングランドのマンチェスター・ユナイテッドと契約。
リーグ戦は6位に終わりますが、ヨーロッパリーグ決勝でアヤックスを2-0と破り、チーム初のヨーロッパリーグ優勝を勝ち取ります。
モウリーニョの名言9
「電気より、蒸気より、原子力より強いエネルギーがある。意志の力だ」
逆境ですら燃料とするモウリーニョは、チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグをダブルで制した、史上初の指揮官となったのです。
しかし翌2018~19年のシーズンは、またもやチームが機能せず低迷。あえなく解任となりました。
トッテナム・ホットスパー時代
次に選んだチームは、ロンドンのトッテナム・ホットスパーです。
ところが、11シーズンぶりに開幕戦で黒星を喫すると、一時的に盛り返すも結果的には6位と失速。
カップ戦の決勝前に、コーチ陣もろとも解任されてしまいます。
これはモウリーニョがFCポルトを指揮してから、初めて無冠に終わったシーズンでした。
モウリーニョの名言まとめ
歯に衣着せぬ率直な物言いで、頻繁にメディアを騒がせるモウリーニョですが、選手には父親のように慕われます。
プレーヤーに向けられがちな非難の矛先を、監督が受け止めてくれるからです。
モウリーニョの名言10
「大切なのは私の哲学。どんな戦術で戦うかは二の次だ」
有名選手を特別扱いせず、若手もベテランも関係なく、チームの結束を第一に戦う姿勢を見て、意気に感じる選手は少なくありません。
あえて外に敵を作り、集団をまとめあげるスタイルで、勝利の山を築くモウリーニョ。
サッカー史に名を残すスペシャル・ワンは、選手の士気を上げるスキルに長けた、稀代のモチベーターでもあるのです。