日本でサッカー選手としてプレイしている人は、1度は憧れるサッカー日本代表。
年代別で構成される日本代表と、年齢は問わないフル代表と複数に分類され、今まで多くのサッカー選手が日の丸を背負って世界の強豪と戦ってきました。
特にフル代表は日本国内だけではなく、世界からも注目されているチームの一つであり、
フル代表に選出されている選手の多くは欧州の主要リーグで日々練習や試合を頑張っています。
今回は、過去にフル代表に選ばれたセンターバックにスポットを当てて、歴代のセンターバックを紹介していきます。
往年のスタープレイヤーから現在活躍中のプレイヤーまで、幅広いセンターバックが登場します。
サッカー日本代表のセンターバック
サッカー日本代表は1918年発足以来、延べ約600名以上の選手が世界を相手に熱い試合を繰り広げてきました。
サッカー日本代表に選出されたセンターバックの数は数十名と意外に少ないのですが、センターバックは守備の段階であうんの呼吸が必要となるため、
怪我やカードによる出場停止以外は固定メンバーで戦います。
経験も必要なポジションの一つになるため、若手選手は中々代表に選出されることはありませんでした。
しかし、近年は若手選手がクラブでポジションを確立し、20歳前半の若さでサッカー日本代表のセンターバックに選出されることも珍しくなくなってきました。
3バックシステムから4バックへ
サッカー日本代表の歴史を振り返ってみると、1998年フランスワールドカップから2002年の日韓ワールドカップまでは3バックシステムで世界と試合を行ってきました。
2006年からは4バックとなり、現在のサッカー日本代表は4-5-1をベースにして試合を重ねていきます。
過去にサッカー日本代表の監督を経験したアルベルト・ザッケローニ氏や森保一監督は3バックをメインにしたポジションで戦術を構成するのが最も得意ですが、
日本代表では4バックでシステムを編成してセンターバックを選んでいます。
サッカー日本代表歴代センターバック
サッカー日本代表で過去に選ばれたセンターバックの中から、これぞと言える歴代のセンターバックは誰なのか、気になるところです。
センターバックは、戦術やパートナーによってどの立ち位置でどのようにプレイすれば良いか状況によって判断を下す必要があります。
サッカー日本代表は、クラブチームとは違いわずか数日間の練習で試合に臨まなくてはなりません。
そのため、世界の代表では、同じクラブチームでプレイするセンターバックを選出するパターンもありますが、
サッカー日本代表では戦術理解度が高いセンターバックを主に招集してきました。
それでは、歴代のセンターバックを見ていきながら、サッカー日本代表のセンターバックがどれほどまでに成長してきたのかも紹介していきます。
井原正巳
アジアの壁と称され、サッカー日本代表の国際Aマッチ122試合に出場した選手が井原正巳氏です。
ディフェンダーに必要な要素を全て兼ね備えており、高い技術と判断力でサッカー日本代表のゴールを守ってきました。
歴代センターバックの中でもカード枚数が少ないことでも知られており、1部の関係者から歴代ナンバー1センターバックの呼び声が高いことで有名です。
現役引退後は、U-23日本代表のアシスタントコーチやアビスパ福岡の監督を経て、柏レイソルでネルシーニョ監督の元、後進の育成に励んでいます。
松田直樹
サッカー日本代表が日韓ワールドカップで初めてベスト16になった立役者の一人として有名なのが松田直樹氏でしょう。
フル代表の試合数が40試合と意外に少なめですが、物怖じしない性格と闘志あふれるプレイで、サッカー日本代表をけん引してきました。
サッカー日本代表歴代センターバックの中でも非常に愛された選手でもあり、所属先の横浜Fマリノス退団後から、
当時JFLだった松本山雅FCへの移籍までの軌跡がドキュメンタリー番組として放送されるほどでした。
2011年8月2日、練習中に心臓発作で倒れてしまい、同年8月4日に急逝してしまいます。
松田直樹氏の突然の死去により、スポーツ施設を始めとした各施設にAEDが普及されることとなりました。
中澤佑二
サッカー日本代表歴代センターバックの中で最も得点を決めた選手と言えば中澤佑二氏でしょう。
サッカー日本代表で117試合に出場し、得点数は17得点とサッカー日本代表の歴代ディフェンダーの中ではトップの数字を誇ります。
カードも非常に少ない選手として知られており、イエローカード5枚、レッドカード0枚というクリーンなセンターバックとして有名です。
サッカー日本代表の歴代選手の中でも苦労人として知られており、高校卒業後に単身ブラジルへ渡り、当時のヴェルディ川崎に練習生として参加、
三浦知良選手やラモス瑠偉氏などに鍛えられました。
サッカー日本代表では3大会連続でワールドカップに出場しており、守備力の高さと得点力で世界のメディアから注目を集めていました。
イギリスメディアが選出した、21世紀サッカー日本代表の歴代ベスト11に選ばれています。
吉田麻也
サッカー日本代表の歴代センターバックの中でもナンバー1の実績を誇る選手と言えば吉田麻也選手でしょう。
名古屋グランパスから若干20歳という若さでオランダのエールディビジVVVフェンローに移籍、
2012年からイングランドプレミアリーグのサウサンプトンで主力選手として活躍しました。
2020年から、世界で一番ディフェンスに厳しいセリエAに戦場を移し、サンプドリアの主力として活躍しています。
サッカー日本代表では、21歳という若さでフル代表に定着し、現在はサッカー日本代表のキャプテンを務めています。
サッカー日本代表招集当初は頼りなかった吉田麻也選手が、現在ではサッカー日本代表もキャプテンとしてチームをけん引する、
あまりの成長ぶりに往年のサッカーファンは目を細めていることでしょう。
オリンピック代表には、北京、ロンドン、東京と3世代の代表で選出され、オリンピックサッカー出場試合が12試合と歴代最多記録タイになりました。
イギリスメディアが選ぶ21世紀のサッカー日本代表歴代ベスト11に選出されています。
冨安健洋
次世代のサッカー日本代表の中心メンバーとなるべく期待されている選手が冨安健洋選手です。
中学年代からアビスパ福岡一筋で、若干16歳という若さでアビスパ福岡のトップチームでプロデビューします。
20歳でベルギーリーグのシント=トロイデンVVに移籍し主力として活躍すると、2019年に世界1ディフェンスに厳しいセリエAの門を叩きます。
セリエAではボローニャFCに所属し、主戦場は主に右サイドバックでしたが、徐々にセンターバックでも起用されるようになりました。
セリエAの名門チームであるACミランや複数のチームからオファーが来ましたが、
2021年にイングランドプレミアリーグの名門であるアーセナルFCに移籍が決定し、今後の活躍が期待されます。
サッカー日本代表では、若干20歳という若さでフル代表デビューを果たし、現行サッカー日本代表のセンターバックの主力として活躍しています。
小学校年代はバルセロナスクール福岡校で活躍し、FCバルセロナに入団を推薦されたという逸話はあまりにも有名です。
まとめ
サッカー日本代表のセンターバックの成長は著しく、現行サッカー日本代表のセンターバックは欧州で活躍する選手が招集されることも珍しくなくなってきました。
日本人のセンターバックの選手が長らく鬼門とされてきた海外挑戦は、徐々に花が開いていき、多くのセンターバックが海外に挑戦していっています。
しかし、Jリーグで活躍しているセンターバックの選手も黙ってはいません。日本と海外とで切磋琢磨しながらお互いに成長を続けるセンターバックは、
近い将来世界を驚かせる存在となるでしょう。