【永久欠番】阪神タイガースのレジェンドスターについて深掘りしてみた

プロ野球は日本で最もメジャーなスポーツの1つとして、80年以上に渡り、国民から愛されています。

今回はその長い歴史を持つプロ野球のなかで、阪神タイガースの永久欠番について紹介します。

永久欠番という言葉、ご存知ですか?

永久欠番になるということは、『背番号』が個人のものとなり、永久にほかの人が使えなくなる状態のことを言います。

これは、選手がプロ野球界やチームに多大な貢献をしたことによる功績をたたえ、背番号をその選手固有の番号とするものです。

阪神タイガースで正式に永久欠番とされているのは、

  1. 背番号10 藤村富美男(内野手)
  2. 背番号11 村山実(投手)
  3. 背番号23 吉田義男(内野手)
以上3名となります。
今回はこの3名のプレイヤーに焦点を当て、深掘りします。

永久欠番その1 藤村富美男(内野手) 背番号10番

藤村富美男(ふじむら ふみお 1916年8月14日 – 1992年5月28日)は、球団創設以来タイガースの主力バッターとして不動の4番打者の地位を築きました。
当時の球団名は実は大阪タイガースという名前で、強力な打者が多かったことから、タイガースの打線はダイナマイト打線と呼称されていました。
その中心にはいつも藤村選手の存在がありました。タイガース創成期を語るには外すことのできない人物です。
余談ですが、阪神タイガース球団歌である『六甲おろし』の
「オゥオゥオゥオゥ~阪神タイガース」のオゥオゥオゥオゥはこの大阪タイガースに続くフレーズとして作られたものです。
藤村選手は一般的なバットよりも8cmほど長いものを使用しており、そのバットは「物干し竿」と呼ばれていました。
長いバットを豪快に振り回すバッティングでチームに貢献し、初期のタイガースを支えた功労者として、タイガース1人目の永久欠番選手となりました。
残念なのは、藤村選手が現役の時代、日本は第二次世界大戦の渦中にあったということです。
藤村選手も兵士として戦争に赴いており、その選手生活の大切な時期を戦争に奪われていたことになります。
それでは藤村選手の主なタイトルを紹介します。
  • ・本塁打王 2回(プロ野球初代本塁打王)
    ・首位打者 1回
    ・打点王 5回
    ・通算 224本塁打 1126打点 打率.300
この成績だけ見てもすごいですよね。数字だけでもチームへの貢献度が分かります。
そして藤村選手を語る上で外せないのは『ミスタータイガース』という呼称です。
このミスタータイガースという呼称はその後、村山実、田淵幸一、掛布雅之という選手に引き継がれていくのですが、
初代ミスタータイガースの存在感は別格と言えるのではないでしょうか。

永久欠番その2 村山実(投手) 背番号11番

続いて紹介する選手は、村山実(むらやま みのる 1936年12月10日 – 1998年8月22日)です。

村山投手は、2代目『ミスタータイガース』と呼ばれている選手です。

村山投手のプロ初登板の試合は、なんと初代『ミスタータイガース』藤村選手の引退試合の日であったことも、運命的ですね。

全身を使った闘志むき出しの豪快な投げっぷりは、『ザトペック投法』と呼ばれました。

ちなみに、ザトペックという呼称は、陸上長距離選手エミール・ザトペック選手(当時のチェコスロバキア)の姿に似ていることからつけられたものでした。

村山投手を語る上で外すことができない選手は、ライバル読売巨人軍にいた長嶋茂雄です。

両選手は、お互いをライバルとし、その対決でファンを大いに盛り上げ、数々の名場面を演出してきました。

球界の発展に尽力したことはいうまでもありません。

1500奪三振、2000奪三振という節目の三振は、いずれも長嶋選手から狙って奪ったというのは両選手のライバル関係から考えると、必然だったのかもしれません。

また、天覧試合での村山vs長嶋の対決も後世に語り継がれる名場面です。天覧試合というのは、天皇陛下が試合を生で見に来られたすごく貴重な試合です。

この試合は、試合途中から登板した村山投手が、長嶋選手にサヨナラホームランを浴びるという結末に終わりますが、

村山投手は生涯あの打球はファールだったと述べられています。

それでは村山投手の主な成績を紹介します。

・最優秀防御率 3回
・最多勝 2回 ※2年連続
・最多奪三振 2回
・最高勝率 1回
・沢村賞 3回
・通算 222勝 147敗
どうでしょうか。
いかに凄い投手だったか、成績からも分かります。
タイガース創成期の打のミスターは藤村富美男投のミスターは村山実というのは、まぎれもない事実です。

永久欠番その3 吉田義男(内野手) 背番号23番

永久欠番その3 吉田義男(内野手) 背番号23番

そして阪神タイガースの永久欠番、ラストを飾るのは、吉田義男(よしだ よしお 1933年7月26日 - 現在 )です。
野球をよく見る方なら、なじみがある方も多いのではないでしょうか。
現在も野球中継で解説されることもありますよね。
吉田選手は、何と言ってもその守備力から『牛若丸』という異名がついたことが有名です。
ショートを守る吉田選手のところにボールが飛べば、気づかぬうちにファーストにボールを投げている。
牛若丸を彷彿させる素早い守備で、そのように言われています。
また、その脚力から、盗塁王にも2度輝いています。
吉田選手のエピソードは、引退後もさまざまなものがあります。
1つめは、1989年から1996年までの間、野球のフランス代表の監督を務めており、『ムッシュ』という呼称もつきました。
ムッシュというのはフランス語で『閣下』という意味です。
野球不毛の地であったフランスにおいて、日本人が野球の監督を務めるというのは、
本当に大変なことですが、ムッシュ吉田は見事にその大役を果たし、フランスの野球界ではちょっとした有名人になっているそうです。
2つめは、なんといっても阪神タイガースの歴史上、唯一の日本一になった監督だということです。
阪神タイガースの日本一は1985年が歴史上唯一のものですが、そのときの監督がこの吉田氏なのです。
日本一になったときの阪神タイガースは、真弓・バース・掛布・岡田といった強力打線を有したチームでしたが、
投手陣に不安があったため、監督としての仕事は継投に関する部分が多くを占めていたと言われています。
では、吉田選手の主な成績を紹介します。
・盗塁王 2回
・最多安打 1回
・ベストナイン 9回
・正力松太郎賞  ※日本一監督として表彰
吉田氏は、まだご存命ということもあり、選手時代よりも監督としての姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

阪神タイガースの永久欠番 まとめ

以上みてきた通り、阪神タイガースには、現在3名の永久欠番の選手がいます。

  • 10番 藤村富美男
  • 11番 村山実
  • 23番 吉田義男

三者三様に、名実ともに素晴らしい実績を残したことで、永久欠番という栄誉が与えられたということが分かりました。

また、公式には永久欠番とはされていないものの、事実上欠番となっているのは、金本知憲選手のつけていた背番号6です。

金本選手は生え抜きの選手ではないため、正式に永久欠番となれば、これもまた歴史的なことになりますね。

永久欠番になる選手は、未来に名を残しても誰も違和感を持たない選手です

このように、未来に名前が残る選手がこれからも数多く誕生してくれることを楽しみに、プロ野球を追いかけるのも良いのではないでしょうか。

最新情報をチェックしよう!